No.11. 入れ歯を入れたロバの話
(ロバの口の方を採っている。石上先生はロバが
嫌がらないか、たいへん心配された。 )
東京の上野動物園の資料室にあるロバが静かに眠っている。
このロバの名前は"一文字号"。
実はこのロバ,世界で始めて入れ歯を入れたロバなのだ。
入れ歯に至った経過を説明しよう。
このロバは,1935年,北京の郊外で生まれた。
日本軍の物資輸送で活躍したとのことで,1941年に上野動物園に送られてきた。
動物園では,子ども達を乗せた馬車を引き人気を集めていた。
ところが1962年のある日,ポップコーンを喉に詰めて死にそうになった。
喉に詰めた原因,それは歯が悪かったことだ。
1935年生まれで,1962年のことだからロバの年齢は27歳。
しかしロバは,年に3歳歳をとる。人間で言えば80歳強になる。
歯が悪くてもおかしくない歳なのだ。
当時の動物園の方々は,なんとかロバをもう一度噛めるようにしてやりたいと思われた。
そこで東京中の歯科医や歯科大学に連絡し,ロバの入れ歯を作ってくれる歯科医を捜した。
ロバに入れ歯なんて...。
ロバの治療をしてくれる歯科医は簡単に見つからなかった。
「それでは私が・・。」と名乗りをあげたのが,東京医科歯科大学に勤務しておられた故石上健次先生。
この先生,後に昭和天皇の御殿医をもされた名医である。
ロバの治療の様子を教えていただくため,先生の診療室を訪問した。
先生は,当時の写真を一枚一枚感慨深けに眺めながら,苦労話を語られた。
以下,先生から伺った内容である。
(上野動物園に一頭のロバの剥製がある。 )
ロバの歯の検診をしたところ,入れ歯を入れるために不都合な歯があった。
しかしその歯を抜くと,高齢のためにショックを起こす可能性があった。
そこで入れ歯を入れやすいように歯を削り,歯の型を採ろうとした。
しかし,ロバの大きな歯型を採る道具(トレー)がないので,歯科の材料会社にお願いして,特製のものを作っていただいた。
型を採る材料(印象材)を口の中に入れたら,きっとロバは嫌がるだろう。
「暴れたりしまいか・・。」と心配だったが,印象材のにおいが気に入ったか,じっと固まるのを待っていたとのことだった。
むしろたいへんだったのが,歯の噛み合わせの高さを決めるときだった。
噛み合わせが高い入れ歯をいれると,噛めないだけでなく,すぐに壊れるだろう。
なにしろロバは,何も言ってくれない。
おまけにロバの顔の長さは四十センチもある。この状態で噛み合わせの高さを決めるのが至難の技だった。
(ロバには人口の歯がないので、ほかのロバの写真を
参考に歯を作っていた。 )
次は,入れ歯の歯の部分である。
人間の場合,あらかじめ人工の歯があるが,ロバにはない。
そこで他のロバの口元を写真に撮り,一本づつ歯をロウで型を作られた。
やっとのことで入れ歯は完成した。
もっと心配なことがあった。本当にロバが入れ歯を入れてくれるのだろうか?
しかしその心配は杞憂に終わった。
ロバは入れ歯を入れた数分後,草を食べ始め,誰もが喜んだとのことである。
(入れ歯を入れて、再び元気になった"一文字号" )
野生動物は,歯を失うと生命にかかわると言われるが,ロバの一文字号は,入れ歯を入れることによって健康を取り戻したのである。
さてこのロバは,それから何年生きることができたのであろう?
残念ながら,3年後に亡くなった。
実はこのロバ,羊と一緒に飼われていたのだが,ある日羊が柵を飛び越えたのを見て,自分も超えようと思ったらしい。
ところが柵に足を引っかけ転倒した。これが原因で腸ねん転で死亡した。
柵を飛び越えようとしなければ,天寿をまっとうできたかもしれない。
入れ歯を入れて元気になったロバの物語。とってもほほえましい話しである。
しかし総入れ歯は,自分の歯と比べて約二十%しか噛むことができない。
やはり自分の歯に優るものはないのである。
モンゴル健康科学大学 客員教授 岡崎 好秀 先生
(前 岡山大学病院 小児歯科 講師)
子供も楽しめる保健指導情報を 「Dr. 岡崎の口の中探検」にて好評連載中。
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